【雪燐】君の隣でそっと3
- 2011/12/21 (Wed)
- 雪燐長編 |
- Edit |
- ▲Top
雪燐パロディの続きです。
もだもだと中学生のような恋愛を実施中。
頬染めが多すぎて、うわぁ・・・ってなってます。
のろのろしていますが、おつきあいください。
つづきからどうぞー。
もだもだと中学生のような恋愛を実施中。
頬染めが多すぎて、うわぁ・・・ってなってます。
のろのろしていますが、おつきあいください。
つづきからどうぞー。
7
「とは、言ったものの……」
燐はぼんやりと目の前にそびえ立つ建物を眺めた。
「どーやって、会おう」
とりあえず、正十字総合病院の前まで来てみたものの、燐はどうしていいのか決断がつかず、入口の前で立ち尽くしていた。
雪男に会いたい一心で来たのだが、さて、どうするか。つい先日診察を受けたばかりなのにまた受診するわけにもいかない。
どこかで待ち伏せしようと思っても、相手は立派な社会人で平日は朝から晩まで働いているのが普通だ。雪男は勤務医だから、この病院内にいることは確かなのだが、雪男を探して病院内をうろつくのもどうかと思うし、たとえそれで会えたとしても仕事の邪魔だろう。
「しゃーねぇな、夜まで待つか」
夜になったらもう一度病院までこようと思って、燐は踵を返す。
だいたい、ここに来るまでこんなことにも気づかないなんて、俺って馬鹿すぎる。
自分が馬鹿なことは師匠であるシュラから散々罵られてきたから十分に知っていたが、こんな簡単なことにも気づけないとは浮かれていたとしか思えない。
「はぁー、ホント、俺ってだめだよなぁ」
燐はがしがし頭をかいて、ため息をつく。うつむいて足元を見ているとどこまでも沈んで落ちていってしまいそうだ。じわりと目尻に涙が浮かんできそうになって、慌てて腕で拭おうとした、そのときだった。
「あれっ……?奥村さん?」
背後から、穏やかな声がかけられる。
聞き覚えのあるその声に、燐はばっと勢い良く振り向いた。
「あ、やっぱり、奥村さんだ」
「えっ?えっ?」
そこに立っていたのは、会えないと思って燐を凹ませていた、まさしくその当人。
「雪男、先生?」
「はい。すごい偶然ですね。どうしたんですか?こんなところで」
雪男はいつも通りの優しげな笑みを浮かべて、燐をみつめている。眼鏡の奥の瞳が細められ、燐が答えるのを待っていた。
「あ、お、俺」
燐はあたふたとして、手をばたつかせる。アンタに会いたかったんだ、なんて気が利いたことも言えるわけがなく、適当な言い訳も思いつかず、眉を寄せた。
「またどこか具合が悪くなりました?」
「いや、それはない!」
少し心配そうに顔をのぞき込まれて、燐はあわてて否定する。だいたい、今までの受診理由だってほとんど嘘みたいなものだったから、今更否定するのもおかしな話だったが、雪男の心配そうな顔に思わず首を振ってしまった。
「そっか、それなら安心だ」
にこりと雪男は笑う。盛大な罪悪感が燐をおそったが、同時に雪男の笑顔に満たされもして、幸福感に包まれる。
なんだか、この人の笑顔って柔らかいのに強烈なんだよな、と燐は温かくなった胸元を押えた。
「そ、それよかさ、先生もどうしてこんなとこいんの?まだ仕事中だろ?」
「ええ。今日はちょっと用事がありまして。今からそちらへ向かうところなんですが……」
と、そう言うと雪男はふっと言葉を切って燐をじっと眺めた。そして、口元に手をやると、もごもごと何事かをつぶやく。
「え?何?」
燐はうまく聞き取れず、一歩雪男に近づくと、雪男は目を逸らしながら答えた。
「あー、いえ。その、奥村さんは今からどちらへ行かれるんですか。よければ、車で送っていきますけど」
「え、まじで?」
雪男からの誘いの言葉に、燐は顔を輝かせる。会えただけでも幸運だというのに、さらにもっと話をする機会がもてるなんて。
「じゃ、じゃあ、わりぃけど、お願いしていいかな?」
「ええ、いいですよ。急ぎではないので」
雪男がうなずいたのをみて、燐はやった、と心の中でガッツポーズを取る。
それから、行き先をどこだと言おうと悩んだ。本当はすごく遠いところまで、できるだけ長い時間一緒にいたい。
けれど、雪男は何かの用事があるようだし、適当なところで「じゃあ、駅まで」と告げてみた。
「ああ、ちょうど行き先の途中ですよ。よかった」
雪男がそういうので、燐は自分の答えが間違っていなかったと安心する。
そして、そのまま雪男に従って、駐車場へと向かった。
雪男の車は国産のセダンタイプだ。色はシンプルなシルバーブルー。落ち着いた雪男にぴったりの車だった。
燐は助手席に乗り込み、雪男が車を発進させるのを待った。
人の車に乗るっていう行為は、まるで相手のテリトリーの中に入ったようで緊張する。その燐の緊張が伝わったのかどうか、雪男はエンジンをかけるまで無言で、車が大通りに出る頃になってようやく小さなため息とともに燐に声をかけた。
「さっきは本当に驚きました。奥村さんがあんなところにいるなんて」
「ああ、俺もびっくりした。先生、病院の中にいると思ってたから」
燐が同意すると、雪男はわずかに苦笑して首を振る。
「いえ、まあ、それもびっくりしたんですが。なんていうか、奥村さんとはいやに偶然が重なるなと思って」
「えっ?」
どきりとして、燐は運転席の雪男を見る。雪男は正面をみながら、ちらりと一瞬だけ燐に視線を送ってくる。
「同じ誕生日、同じ苗字、そしてたまたま取った休日に出会うなんて……これも奥村さんがいう運命でしょうか」
最後の方は自分でも言い過ぎたと思ったのか、少し照れたように雪男は言う。
「……」
燐はそれには答えず黙って雪男をみつめ続ける。偶然なんかじゃない、と雪男の手をとっていってしまいたかったが、今それを言ってはいけないような気がした。
雪男は燐が黙ってしまったので、それ以上会話を続けられなくなり、車の中には沈黙が漂う。
「……もうすぐ駅に着きますね」
ああ、せっかくの雪男との時間がもう終わってしまう。
燐は急に切なくなって、じっと手元を見下ろした。何かいわなきゃいけないのに、何も言葉が出てこない。
あいかわらず沈黙が続き、駅の建物がみえてきた、その時、ヴーという機械音が鳴り響いた。
「失礼」
雪男が路肩に車を止め、内ポケットから携帯を取り出す。そして、耳元に当てて話始めた。
燐はわずかだが雪男と一緒にいる時間が引き伸ばされたことにほっとする。だが、それもわずかの引き伸ばしだ。あと少し。もう少しだけでもいい。一緒にいられれば。会話がなくてもいい。空気を共有するだけでも。
「奥村さん」
声をかけられ、びくりと燐が肩を揺らす。ゆっくりと顔を上げると、雪男が笑っていた。
こくり、と息を呑むと雪男が助手席に手をかけて燐に顔を寄せる。どきりとして身をこわばらせると、雪男が一瞬の躊躇と共に言った。
「用事、急にキャンセルになってしまって……もし、よければ、お茶でもしませんか?」
「マジで!?」
突然、目の前がぱぁっと明るくなったような気がして、燐は雪男の方へと身を乗り出した。
嬉しさで指先が小さく震えていた。もう別れなければならないと思っていたのに、なんという幸運だろう。
「ええ。いきつけの店があるので、そこへいきましょうか」
雪男が笑顔で答えるので、燐もうんうんと首を大きく縦に振った。
それじゃあ、といって雪男が車を発進させる。燐は運転する雪男の横顔を幸せそうにみながら、普段は無神論者のくせにこのときばかりは、この機会を与えてくれた神様に心底感謝をした。
8
「おしゃれなとこだなー」
窓際のテーブル席に案内されて、腰をおろした燐は、こじんまりとした店の中を見渡し感心したように言った。
雪男が連れてきてくれたのはモノトーンを基調とした清潔感のある店だった。
平日の午後だからか人は少なく、燐たちから離れた店の奥に若い女性客が数人いるだけだ。
燐は雪男にすすめられたハーブティを頼み、それが来るのを待ちながら雪男を正面からまじまじとみた。
会いたくてしかたなかった人物だ。診察の時はちょっとの時間、じっくり顔をみることもできなかった。けれど、今は誰にも邪魔されることなく雪男を堪能できる。
あまり外に出ないのか、日に焼けていない白い肌にほくろが三つ。イケメンにほくろってマジやばい、色っぽすぎだろと燐はしみじみ見惚れる。ただの色男に見えないのは、理知的な眼鏡と誠実そうなその瞳のおかげだろう。
眼福だなぁと燐は蕩けるような顔をしながら、雪男をみつめた。
「あの・・・・・・奥村さん」
そんな燐に戸惑ったのか、雪男はバツが悪そうに眼鏡を押し上げると、申し訳なさそうに言う。
「すみませんが・・・・・・そんなにじっと見ないでください」
「ええ?なんで」
「その、奥村さんは外国の方なので慣れているかもしれませんが、僕は日本人なのでみつめられるの、慣れてないんです」
「ああ、そうだよな」
ごめんごめん、といいながら燐は視線を逸らす。雪男がほっと息をつくのをみて、しまった、ほぼ初対面に近い人間なのに欲望に忠実すぎたかと反省する。
「あ、別にまったくみるなというわけではなくて。その、奥村さんの目でみられると、どうも」
雪男は逸らした視線をちらちら燐に向けてくる。燐は自分の目元に手をやりながら首を傾げた。
「俺の目ってなんか変?」
「いえ、そうじゃなくて!すごく綺麗な目なので、みつめられると、その、照れるというか・・・・・・」
うっすら頬を赤らめる雪男をみて、燐はそれ以上に真っ赤になる。
「あ、うん・・・ごめん」
綺麗な目、なんてそんな褒め言葉、使わないで欲しい。
女性から容姿を褒められたことは何度もあるが、雪男から褒められるのとは意味が全然違う。どうしてか、いやに気恥ずかしくなって、わざと明るい声を出して話題を変えた。
「つーかさ、雪男先生、その『奥村さん』てのやめてくんない。この間言ったみたいに日頃呼ばれてないからもぞもぞするんだよね。あ、あと、敬語も」
「でも、これが僕には普通ですし・・・・・・じゃあ、なんて呼べば?」
「下の名前で呼んで?敬語も禁止!」
「下の名前・・・・・・燐、ですか?」
自分でいっておいて、雪男に名前を呼ばれた瞬間、燐の背中にぞわりと鳥肌が立つ。
ひやっと喉の奥で悲鳴をあげて、ぎゅっと目をつぶる。
「そう。そっちでいいよ」
心臓はばくばく早鐘を打っているが、決して嫌なわけではない。雪男の低くすぎず、高すぎもしないその声は、心地いいとさえ思う。
「じゃあ、僕も・・・・・・先生はつけないで雪男って呼んでくれますか?」
「え、なんで」
「だって、僕だけ呼び捨てなんて、不公平なかんじするでしょう?」
「別にしねぇけど」
「僕はするんでお願いします」
雪男は丁寧に頭を下げる。そうされると、いやとは言えず、燐は仕方なく雪男の名前を呼んだ。
「じゃあ・・・・・・、ゆき、お」
「ええ」
にこりと雪男が嬉しそうに微笑み返してくる。燐はかーっと顔を赤らめて顔を背けた。
恥ずかしすぎる。何が恥ずかしいのかよくわからないのだが、とにかく居ても立ってもいられない気分になって、燐がそわそわしていると、丁度いいタイミングでウェイターがやってきて、二人の前に注文したハーブティを置いていった。
燐は気分を落ち着かせようとハーブティに口をつける。ミントの匂いがすっと鼻腔に広がった。ふーっと息を吐きながら、落ち着け俺、と自分に言い聞かせて燐と同じようにカップに口をつけている雪男を見た。
「おいしい?」
「ああ、すっきりするな」
「よかった。本当はランチもおいしいんだけど。そっちもいろいろなハーブを使っていて、お勧めですよ。時間が過ぎてなかったら、食べれたのにな」
「へー、俺、結構料理するから、興味あるよ。また、連れてきてもらってもいい?」
燐が気軽にそういうと、雪男の動きがぴたりと止まる。
え?俺、また変なこといったかな、と燐がびくびくしていると、雪男は眼鏡を押し上げながら聞いてくる。
「また?」
「う、うん。だめか?」
「い、いいえ。また一緒にランチしにきましょう」
心なしか、雪男のテンションが上がったように見える。燐はそれをみて、自分も気分が高揚していくのをかんじた。
それからは、燐の得意料理についてや、正十字学園町のおすすめカフェなどについて盛り上がった。
こういう女の子が喜びそうなお店を知っているんだから、よっぽどモテるんだろうなと燐がちょっと皮肉げに雪男に聞くと、看護婦たちが聞くまでもなく勝手に教えてくれるらしい。
そっか、と燐はほっとして、そっちにも連れてってくれよな、と言うと雪男は即座にうなずいてくれた。
話すのが楽しくて、一緒にいられるのが嬉しくて、時間はあっという間に過ぎ去った。
ふと気づけば、窓の外が暗くなっていた。
「ずいぶん、話し込んじまったなー」
「すみません、遅くなってしまいましたね。駅まで送ります」
燐がいうと、雪男ははっとしたように席を立ち、会計をするために手を上げてウェイターを呼んだ。
「あ・・・・・・」
別に、まだ全然いいのに。もっと、ずっと、話し続けたってかまわないのに。
燐はそう思ったが、雪男が目の前で会計を始めてしまったので、言うに言い出せず、雪男に続いて席を立った。
店を出て、雪男の車に乗り込む。あとは、このまま駅に乗せていって貰うだけだ。
それが無償に寂しくなって、燐の口数がまた減る。雪男もしゃべりださないので、車の中は再び沈黙が流れた。
今度こそ駅についてしまう。ロータリーで横づけされた車から仕方なく降りようと燐がドアに手をかけた時。
「あ、あの」
「え、なに?」
背後から声がかかる。振り向くと、切羽詰ったような雪男の顔があった。勢いあまったのか、眼鏡が少し傾いていて、燐は雪男らしくないその姿に思わず笑みが漏れる。
「あの・・・・・・」
「うん」
「連絡先、聞いてもいいですか」
燐は瞬きを繰り返した。動きを止めた燐に、雪男は失敗したという顔をする。
「あ、いえ、嫌ならいいんですけど!」
「ち、違う。そうじゃなくて!」
そうだ。連絡先を交換するって手があったんだった。
すっかりそういう手段があることを忘れていた燐は、また会えない日々に悶々としなければならないと意気消沈していたのだ。
連絡先を教えてもらえば、少なくとも会えないかどうか聞くことはできる。そうじゃなくても、雪男と個人的につながれるものがあるということに、燐はたまらなく嬉しくなった。
燐は鞄から手帳を出すと、自分の携帯番号とメールアドレスをすばやく書き雪男に差し出した。
「はい、これ俺の番号。都合のいい時でいいから、また連絡くれよな」
「あ、ありがとう」
雪男はほっとしたような笑顔を浮かべる。そして、燐から手渡されたメモを大事そうに内ポケットへとしまった。
「僕のアドレスはメール送りますから」
「うん。待ってる。今日はありがとな」
「僕も。楽しかったです」
「ん、じゃあな」
「ええ、また」
お互い手を振り合って、笑顔で別れる。雪男の車が去っていくのを見送って、燐はやった!とその場で小さく飛び跳ねた。
別れの寂しさは、次の再会への期待へと取ってかわっていた。
「とは、言ったものの……」
燐はぼんやりと目の前にそびえ立つ建物を眺めた。
「どーやって、会おう」
とりあえず、正十字総合病院の前まで来てみたものの、燐はどうしていいのか決断がつかず、入口の前で立ち尽くしていた。
雪男に会いたい一心で来たのだが、さて、どうするか。つい先日診察を受けたばかりなのにまた受診するわけにもいかない。
どこかで待ち伏せしようと思っても、相手は立派な社会人で平日は朝から晩まで働いているのが普通だ。雪男は勤務医だから、この病院内にいることは確かなのだが、雪男を探して病院内をうろつくのもどうかと思うし、たとえそれで会えたとしても仕事の邪魔だろう。
「しゃーねぇな、夜まで待つか」
夜になったらもう一度病院までこようと思って、燐は踵を返す。
だいたい、ここに来るまでこんなことにも気づかないなんて、俺って馬鹿すぎる。
自分が馬鹿なことは師匠であるシュラから散々罵られてきたから十分に知っていたが、こんな簡単なことにも気づけないとは浮かれていたとしか思えない。
「はぁー、ホント、俺ってだめだよなぁ」
燐はがしがし頭をかいて、ため息をつく。うつむいて足元を見ているとどこまでも沈んで落ちていってしまいそうだ。じわりと目尻に涙が浮かんできそうになって、慌てて腕で拭おうとした、そのときだった。
「あれっ……?奥村さん?」
背後から、穏やかな声がかけられる。
聞き覚えのあるその声に、燐はばっと勢い良く振り向いた。
「あ、やっぱり、奥村さんだ」
「えっ?えっ?」
そこに立っていたのは、会えないと思って燐を凹ませていた、まさしくその当人。
「雪男、先生?」
「はい。すごい偶然ですね。どうしたんですか?こんなところで」
雪男はいつも通りの優しげな笑みを浮かべて、燐をみつめている。眼鏡の奥の瞳が細められ、燐が答えるのを待っていた。
「あ、お、俺」
燐はあたふたとして、手をばたつかせる。アンタに会いたかったんだ、なんて気が利いたことも言えるわけがなく、適当な言い訳も思いつかず、眉を寄せた。
「またどこか具合が悪くなりました?」
「いや、それはない!」
少し心配そうに顔をのぞき込まれて、燐はあわてて否定する。だいたい、今までの受診理由だってほとんど嘘みたいなものだったから、今更否定するのもおかしな話だったが、雪男の心配そうな顔に思わず首を振ってしまった。
「そっか、それなら安心だ」
にこりと雪男は笑う。盛大な罪悪感が燐をおそったが、同時に雪男の笑顔に満たされもして、幸福感に包まれる。
なんだか、この人の笑顔って柔らかいのに強烈なんだよな、と燐は温かくなった胸元を押えた。
「そ、それよかさ、先生もどうしてこんなとこいんの?まだ仕事中だろ?」
「ええ。今日はちょっと用事がありまして。今からそちらへ向かうところなんですが……」
と、そう言うと雪男はふっと言葉を切って燐をじっと眺めた。そして、口元に手をやると、もごもごと何事かをつぶやく。
「え?何?」
燐はうまく聞き取れず、一歩雪男に近づくと、雪男は目を逸らしながら答えた。
「あー、いえ。その、奥村さんは今からどちらへ行かれるんですか。よければ、車で送っていきますけど」
「え、まじで?」
雪男からの誘いの言葉に、燐は顔を輝かせる。会えただけでも幸運だというのに、さらにもっと話をする機会がもてるなんて。
「じゃ、じゃあ、わりぃけど、お願いしていいかな?」
「ええ、いいですよ。急ぎではないので」
雪男がうなずいたのをみて、燐はやった、と心の中でガッツポーズを取る。
それから、行き先をどこだと言おうと悩んだ。本当はすごく遠いところまで、できるだけ長い時間一緒にいたい。
けれど、雪男は何かの用事があるようだし、適当なところで「じゃあ、駅まで」と告げてみた。
「ああ、ちょうど行き先の途中ですよ。よかった」
雪男がそういうので、燐は自分の答えが間違っていなかったと安心する。
そして、そのまま雪男に従って、駐車場へと向かった。
雪男の車は国産のセダンタイプだ。色はシンプルなシルバーブルー。落ち着いた雪男にぴったりの車だった。
燐は助手席に乗り込み、雪男が車を発進させるのを待った。
人の車に乗るっていう行為は、まるで相手のテリトリーの中に入ったようで緊張する。その燐の緊張が伝わったのかどうか、雪男はエンジンをかけるまで無言で、車が大通りに出る頃になってようやく小さなため息とともに燐に声をかけた。
「さっきは本当に驚きました。奥村さんがあんなところにいるなんて」
「ああ、俺もびっくりした。先生、病院の中にいると思ってたから」
燐が同意すると、雪男はわずかに苦笑して首を振る。
「いえ、まあ、それもびっくりしたんですが。なんていうか、奥村さんとはいやに偶然が重なるなと思って」
「えっ?」
どきりとして、燐は運転席の雪男を見る。雪男は正面をみながら、ちらりと一瞬だけ燐に視線を送ってくる。
「同じ誕生日、同じ苗字、そしてたまたま取った休日に出会うなんて……これも奥村さんがいう運命でしょうか」
最後の方は自分でも言い過ぎたと思ったのか、少し照れたように雪男は言う。
「……」
燐はそれには答えず黙って雪男をみつめ続ける。偶然なんかじゃない、と雪男の手をとっていってしまいたかったが、今それを言ってはいけないような気がした。
雪男は燐が黙ってしまったので、それ以上会話を続けられなくなり、車の中には沈黙が漂う。
「……もうすぐ駅に着きますね」
ああ、せっかくの雪男との時間がもう終わってしまう。
燐は急に切なくなって、じっと手元を見下ろした。何かいわなきゃいけないのに、何も言葉が出てこない。
あいかわらず沈黙が続き、駅の建物がみえてきた、その時、ヴーという機械音が鳴り響いた。
「失礼」
雪男が路肩に車を止め、内ポケットから携帯を取り出す。そして、耳元に当てて話始めた。
燐はわずかだが雪男と一緒にいる時間が引き伸ばされたことにほっとする。だが、それもわずかの引き伸ばしだ。あと少し。もう少しだけでもいい。一緒にいられれば。会話がなくてもいい。空気を共有するだけでも。
「奥村さん」
声をかけられ、びくりと燐が肩を揺らす。ゆっくりと顔を上げると、雪男が笑っていた。
こくり、と息を呑むと雪男が助手席に手をかけて燐に顔を寄せる。どきりとして身をこわばらせると、雪男が一瞬の躊躇と共に言った。
「用事、急にキャンセルになってしまって……もし、よければ、お茶でもしませんか?」
「マジで!?」
突然、目の前がぱぁっと明るくなったような気がして、燐は雪男の方へと身を乗り出した。
嬉しさで指先が小さく震えていた。もう別れなければならないと思っていたのに、なんという幸運だろう。
「ええ。いきつけの店があるので、そこへいきましょうか」
雪男が笑顔で答えるので、燐もうんうんと首を大きく縦に振った。
それじゃあ、といって雪男が車を発進させる。燐は運転する雪男の横顔を幸せそうにみながら、普段は無神論者のくせにこのときばかりは、この機会を与えてくれた神様に心底感謝をした。
8
「おしゃれなとこだなー」
窓際のテーブル席に案内されて、腰をおろした燐は、こじんまりとした店の中を見渡し感心したように言った。
雪男が連れてきてくれたのはモノトーンを基調とした清潔感のある店だった。
平日の午後だからか人は少なく、燐たちから離れた店の奥に若い女性客が数人いるだけだ。
燐は雪男にすすめられたハーブティを頼み、それが来るのを待ちながら雪男を正面からまじまじとみた。
会いたくてしかたなかった人物だ。診察の時はちょっとの時間、じっくり顔をみることもできなかった。けれど、今は誰にも邪魔されることなく雪男を堪能できる。
あまり外に出ないのか、日に焼けていない白い肌にほくろが三つ。イケメンにほくろってマジやばい、色っぽすぎだろと燐はしみじみ見惚れる。ただの色男に見えないのは、理知的な眼鏡と誠実そうなその瞳のおかげだろう。
眼福だなぁと燐は蕩けるような顔をしながら、雪男をみつめた。
「あの・・・・・・奥村さん」
そんな燐に戸惑ったのか、雪男はバツが悪そうに眼鏡を押し上げると、申し訳なさそうに言う。
「すみませんが・・・・・・そんなにじっと見ないでください」
「ええ?なんで」
「その、奥村さんは外国の方なので慣れているかもしれませんが、僕は日本人なのでみつめられるの、慣れてないんです」
「ああ、そうだよな」
ごめんごめん、といいながら燐は視線を逸らす。雪男がほっと息をつくのをみて、しまった、ほぼ初対面に近い人間なのに欲望に忠実すぎたかと反省する。
「あ、別にまったくみるなというわけではなくて。その、奥村さんの目でみられると、どうも」
雪男は逸らした視線をちらちら燐に向けてくる。燐は自分の目元に手をやりながら首を傾げた。
「俺の目ってなんか変?」
「いえ、そうじゃなくて!すごく綺麗な目なので、みつめられると、その、照れるというか・・・・・・」
うっすら頬を赤らめる雪男をみて、燐はそれ以上に真っ赤になる。
「あ、うん・・・ごめん」
綺麗な目、なんてそんな褒め言葉、使わないで欲しい。
女性から容姿を褒められたことは何度もあるが、雪男から褒められるのとは意味が全然違う。どうしてか、いやに気恥ずかしくなって、わざと明るい声を出して話題を変えた。
「つーかさ、雪男先生、その『奥村さん』てのやめてくんない。この間言ったみたいに日頃呼ばれてないからもぞもぞするんだよね。あ、あと、敬語も」
「でも、これが僕には普通ですし・・・・・・じゃあ、なんて呼べば?」
「下の名前で呼んで?敬語も禁止!」
「下の名前・・・・・・燐、ですか?」
自分でいっておいて、雪男に名前を呼ばれた瞬間、燐の背中にぞわりと鳥肌が立つ。
ひやっと喉の奥で悲鳴をあげて、ぎゅっと目をつぶる。
「そう。そっちでいいよ」
心臓はばくばく早鐘を打っているが、決して嫌なわけではない。雪男の低くすぎず、高すぎもしないその声は、心地いいとさえ思う。
「じゃあ、僕も・・・・・・先生はつけないで雪男って呼んでくれますか?」
「え、なんで」
「だって、僕だけ呼び捨てなんて、不公平なかんじするでしょう?」
「別にしねぇけど」
「僕はするんでお願いします」
雪男は丁寧に頭を下げる。そうされると、いやとは言えず、燐は仕方なく雪男の名前を呼んだ。
「じゃあ・・・・・・、ゆき、お」
「ええ」
にこりと雪男が嬉しそうに微笑み返してくる。燐はかーっと顔を赤らめて顔を背けた。
恥ずかしすぎる。何が恥ずかしいのかよくわからないのだが、とにかく居ても立ってもいられない気分になって、燐がそわそわしていると、丁度いいタイミングでウェイターがやってきて、二人の前に注文したハーブティを置いていった。
燐は気分を落ち着かせようとハーブティに口をつける。ミントの匂いがすっと鼻腔に広がった。ふーっと息を吐きながら、落ち着け俺、と自分に言い聞かせて燐と同じようにカップに口をつけている雪男を見た。
「おいしい?」
「ああ、すっきりするな」
「よかった。本当はランチもおいしいんだけど。そっちもいろいろなハーブを使っていて、お勧めですよ。時間が過ぎてなかったら、食べれたのにな」
「へー、俺、結構料理するから、興味あるよ。また、連れてきてもらってもいい?」
燐が気軽にそういうと、雪男の動きがぴたりと止まる。
え?俺、また変なこといったかな、と燐がびくびくしていると、雪男は眼鏡を押し上げながら聞いてくる。
「また?」
「う、うん。だめか?」
「い、いいえ。また一緒にランチしにきましょう」
心なしか、雪男のテンションが上がったように見える。燐はそれをみて、自分も気分が高揚していくのをかんじた。
それからは、燐の得意料理についてや、正十字学園町のおすすめカフェなどについて盛り上がった。
こういう女の子が喜びそうなお店を知っているんだから、よっぽどモテるんだろうなと燐がちょっと皮肉げに雪男に聞くと、看護婦たちが聞くまでもなく勝手に教えてくれるらしい。
そっか、と燐はほっとして、そっちにも連れてってくれよな、と言うと雪男は即座にうなずいてくれた。
話すのが楽しくて、一緒にいられるのが嬉しくて、時間はあっという間に過ぎ去った。
ふと気づけば、窓の外が暗くなっていた。
「ずいぶん、話し込んじまったなー」
「すみません、遅くなってしまいましたね。駅まで送ります」
燐がいうと、雪男ははっとしたように席を立ち、会計をするために手を上げてウェイターを呼んだ。
「あ・・・・・・」
別に、まだ全然いいのに。もっと、ずっと、話し続けたってかまわないのに。
燐はそう思ったが、雪男が目の前で会計を始めてしまったので、言うに言い出せず、雪男に続いて席を立った。
店を出て、雪男の車に乗り込む。あとは、このまま駅に乗せていって貰うだけだ。
それが無償に寂しくなって、燐の口数がまた減る。雪男もしゃべりださないので、車の中は再び沈黙が流れた。
今度こそ駅についてしまう。ロータリーで横づけされた車から仕方なく降りようと燐がドアに手をかけた時。
「あ、あの」
「え、なに?」
背後から声がかかる。振り向くと、切羽詰ったような雪男の顔があった。勢いあまったのか、眼鏡が少し傾いていて、燐は雪男らしくないその姿に思わず笑みが漏れる。
「あの・・・・・・」
「うん」
「連絡先、聞いてもいいですか」
燐は瞬きを繰り返した。動きを止めた燐に、雪男は失敗したという顔をする。
「あ、いえ、嫌ならいいんですけど!」
「ち、違う。そうじゃなくて!」
そうだ。連絡先を交換するって手があったんだった。
すっかりそういう手段があることを忘れていた燐は、また会えない日々に悶々としなければならないと意気消沈していたのだ。
連絡先を教えてもらえば、少なくとも会えないかどうか聞くことはできる。そうじゃなくても、雪男と個人的につながれるものがあるということに、燐はたまらなく嬉しくなった。
燐は鞄から手帳を出すと、自分の携帯番号とメールアドレスをすばやく書き雪男に差し出した。
「はい、これ俺の番号。都合のいい時でいいから、また連絡くれよな」
「あ、ありがとう」
雪男はほっとしたような笑顔を浮かべる。そして、燐から手渡されたメモを大事そうに内ポケットへとしまった。
「僕のアドレスはメール送りますから」
「うん。待ってる。今日はありがとな」
「僕も。楽しかったです」
「ん、じゃあな」
「ええ、また」
お互い手を振り合って、笑顔で別れる。雪男の車が去っていくのを見送って、燐はやった!とその場で小さく飛び跳ねた。
別れの寂しさは、次の再会への期待へと取ってかわっていた。
PR